今でもたくさんの方が避難生活を続けられたり、風評被害に苦しんだりなさっている東日本大震災。
当時私共は、地元府中の平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業、大國魂神社宝物殿の随神門(ずいじんもん)改築にともなう宝物殿塗替工事を承っており、まさしくそのさなかの3月11日午後2時46分。
大きな揺れを感じ、しっかりと組まれた足場の上の材料バケツが倒れるほどでした。
その時たまたま当社の前社長は現場の見回りをかねて材料を整理中で、両手にペンキの入ったバケツを持ち足場の最下段に立っていました。
最下段というとですね・・・地上90㎝ぐらいです。
そこにグラッときた。普通なら「危ない!」と思ってパッと何かにつかまるでしょう?
ところが前社長、要するに親父である不二夫氏は、その道六十年の悲しい性で
「ペンキがこぼれる!!」
ってその場で踏ん張ろうとしたんですよ~(^_^;そこに前例のない激しい揺れ。バケツを持ったまま建物と足場の隙間に投げ出され、ひねった方向が悪かったのかもう身動きがとれない。
名前を呼ばれて駆けつけてみると手の位置に二つの材料バケツを置いた全身茶色のペンキまみれの親父の姿。
「やったな(^_^;あんなに低いとこなのに・・・」
そういえば数十年前2階の高さから落ちたときも、まったく意味はないのに本能って奴でしょう。最後までしっかり空のバケツを握ってました。
その時は建物の反対側に僕はいたんですが、ドスンと地響きが伝わってきましたっけ。たまたま通りかかった新聞配達のオジサンが
「あの~今向こうで人が落ちるのを見ちゃいました(-_-;)」
「え!(*_*)大丈夫でしたか?」
「いや多分、ダメだと思います~(T_T)」
「え?マジで?(@_@)」
慌てて飛んでいったらフラワーポットの真上に泥とペンキまみれで空のバケツ持った親父がそこに転がってた。
幸い打ち身だけですんだのは、しっかりヘルメットかぶっていたことと、フラワーポットがクッションになってくれたから。
親父を一度連れ帰って、その後の掃除に半日かかったけど(^_^;)
その現場、一人で仕上げたけれど、あの新聞配達のオジサンが翌日暗~ い顔してやってきたので
「生きてました!(^^)」と言ったら
「よかった~(>_<)本当に良かったです(/_;)」
我が事のように喜んでくれたっけ。
しかしあの頃と、今とでは親父もすっかり衰えてるし・・・
何しろ枠組足場の最下段、奥の方から当の本人がこう言った。
「ダメだ、動けない。どこか折れたかもしれない・・・引っ張り出してくれ!」