ペンキも作ったペンキ屋さん

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。府中市はもちろん、八王子市、立川市、町田市など東京都多摩地区を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

今でこそ外部の塗り替えが中心となってきている当社ですが、私が小僧として始めた頃は仕事の中心は新築塗装。
前回のお話で申しましたとおり当時は塗装部分がたくさんあり外部はもちろん、内部の木枠、巾木、扉など塗装を行う場所がたくさんありました。
ゼネコン系の大きな現場の場合はあらかじめ指定色が決まっているので発注して現場に搬入しておき、検査を受けたりもします。
しかし、いわゆる町場(まちば)と呼ばれる戸建て住宅の場合にはある程度形になってから施主の方や工務店さんに仕上色を日本塗装工業会の色見本帳の中から決めてもらったするのが普通でした。

多かったのが「使われているアルミサッシの色」「後から入ってくる扉の化粧合板の色」外部に関しても「雨樋の色」とか、「水切りのカラートタンの色」など、既存のどこかの色に合わせて統一感を持たせるという指示。こういった場合はサンプル帳や現場にある現物、または工務店さんが持ってきた切れ端から知ることになります、
もちろん当時でも外壁の色などはあらかじめ決めていただいて発注します。一斗缶で数缶になる場合が多いからですし無用なトラブルを避けることもできます。
ところがほかの部位に関した塗料の場合はそうですね、新築一軒でも
「下げ缶半分あればおつりが来るかな~」

といった程度の量しか使いません。
内部のオイルステイン仕上げの枠なども「床板合わせ」が多かったですが、これは元ネタを希釈するので階段や扉が塗り物だとしても4L缶よりもずっと少ない。
更に現場につくまで「サッシやトタン」の色がわからない場合が多かったですし、サンプルも現場においてある場合がほとんどだったため、色番を調べて材料メーカー発注しても手に入れるまで数日はかかることなります。が、実際のところすでにクロス屋さんや建具屋さん、板金屋さんがペンキ屋の終わるのを横で待ってます。
ではどうするかというと、ズバリ現場で調色します。これができないと町場(まちば)では職人とはいえない訳です(当時は)。実のところ一般的な建物に使われる基本的な色はほとんど赤、黄色、黒、白、青この四色を混合させることでほとんど作ることができます。
(ただし、最近は日本塗装工業界の色見本帳も色数が増えて新色が数多く掲載されるようになりました。このような色の中には鮮やかな色彩も含まれていいて一般塗料の顔料では濁ってしまって再現することができません。色見本帳には「ラッカーでしか再現できない色」という注釈が付いているもありますのでこれは色決定の打ち合わせの際今でも注意しなければならないポイントとなっています)

当時ほとんどの塗装屋の車には先ほど述べました5色が積んでありました。もっとも青系(緑系含む)はほとんど使われないのですが・・・
それから軒裏などに使われるつや消し塗料。
当時は軒裏部分にフレキ板が使われることがほとんどだったので水性が多かったです。量はたくさん使うのですがほとんど白に黒が少し入ったものか、アイボリー、クリームのいずれかになる場合が多いので白(基本的に艶消)とわずかな調色材があればことが足りました。

ただ、これがちょっと難しいポイントなんですが、塗料というのは乾燥すると色が変わります。これをふまえて調色するのが芸のうちなのです。

他に持って歩いていたのは内部のオイルステイン染色や生地仕上げの上塗りに使うウレタンワニス、クリヤラッカー、漂白セラックニスなど。
下地調整用にパテやコーキング、サンドペーパー。養生用に布シート、ビニールシート、テープ・・・刷毛やローラーセット。

脚立、足場板等々こうやって書き上げていくと結構ありますがうまく積み込むと軽ワンボックス一台に積み込むことが出来ました。

なかなか馬鹿に出来ませんよあの手の営業車は。ただ排気量が550ccだった頃は高速で走ると加速しなくて怖かったですけどね。特に首都高で右から合流するとかだと決死の覚悟でした。

けれども親父が小僧の頃は自転車や歩きで現場に行っていたので最初と最後にリヤカーで道具や材料を現場に運んだなんて聞くとよほど恵まれていたんですね。
その昔「たけしくんハーイ」というビートたけし少年時代のドラマがありましたが、彼の父親がペンキ職人で自転車で現場までペンキを運んでいました。
あれを見ていた親父が「あんなにきれいな服は着てねぇ( ̄▽ ̄)」と文句をつけてましたね。
当時はワークマンを代表とする作業着屋さんなんかもなかったですから安い服なんて手に入らず、近所からもらったお古を着ながら仕事をしたわけなので当然でしょうが・・・

そこまでリアリティを求めるのもいかがなものかと思います。
さらにさかのぼって爺様の代では自宅のネタ場で樹脂と色粉(黒鉛や光明丹、胡粉など)を混ぜて本当に一から塗料を練って作ったり(親父が作っているのは子供の頃みたことが有ります)。柿渋で板塀塗ったり、コールタールで屋根を塗ったりといった話を聞くと建築史の中ではかなり新しい部類の職種なんだと実感します。進駐軍にもらったペンキはやたらと粘度が高くて乾かない代わりに長持ちしたとかよく言ってましたがこれは「練りネタ」に共通する特色なのかもしれません。

そうそう。「ワークマン」さん。
最近ではおしゃれになりましたね~。
以前は気軽に千円のズボンとかヤッケとか買いに行きましたけど、今では仕事の帰りに寄ったらキャンプ系目当てのほかのお客さんにジロジロみられる始末です。
昔は吉幾三みたいなおっちゃんが多かったんですけど。
古いお客さんも大切にしてほしいですね~(^_^;
なんのお話でしたか・・・そうそう塗料の調色のお話でしたね。
今では塗り替えが中心となりましたので打ち合わせから下地調整、下塗りと長い時間的スパンがとれますので量が必要な材料は指定色での発注がほとんどです。
屋根などは専用の塗料なのでその中の豊富な既存色から選んでいただくこととなります。
これは外壁も同じ。
特に当社では外壁色の決定の際にはご希望の色候補のいくつかの色見本を作成、提出してお客様に選んでいただいておりますのでどうぞご遠慮なくご相談ください。
もちろん雨樋などの色は現場での調色も行うこともあるのですがその際も上塗りの段階でいくつかのサンプルを作成し、試し塗りの後施工する用心がけておりますのでどうぞご安心ください。

ゆくゆくは現場調色も滅び行く伝統芸となるのかもしれませんが・・・


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