平成の米騒動 1

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。
府中市はもちろん、八王子市、多摩市、稲城市など東京都多摩地区を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

最近「令和の米騒動」なんて騒がれて、街のスーパーの棚からお米が消えていく現象が起きてますね。
私は数年前から健康の事を考えて玄米食に切り替えているのでスーパーにも玄米なら在庫があるだろうと思っていたんですが、気のせいかそちらの方も段々品薄になってきたような気配が・・・
あれれ? と思っていたら、いつも玄米を頼んでいるお米屋さんにもネット注文が殺到して新米がなかなか手に入りづらいとの事。
なんと9月分の発送はもう予約でいっぱいだとか(^_^;)
そんなことを聞いてしまうと

「今回は10月でもいいからいつもより多めにとろうじゃないか」と考える・・・

するとまた市場のお米が足りなくなってくる・・・

そんな感じなんですかねぇ。
よく引き合いに出される「平成の米騒動」これはよく覚えています。
調べてみるとこれは平成6年の話だそうで、原因となるのはその前年の冷夏によるお米の不作。
そうそう、夏の間中雨ばかりの年がありました。あのときちょうど都営住宅を三棟ぐらい請け負っていて

「ホントに死んじゃうかも」

って言うぐらいピンチだったんです。
その時の話はこの「よもやま話」に「八月に降る雨」という題名でブログを書いています。
それにかぶる話になりますが、当時は室内にペンキ塗るところがいっぱいあったんですよね。
特に水回り、トイレ、浴室、キッチンが「マスチック仕上げ」って言うローラーパターン工法だったんですよ。
それから硝子戸なんかもペンキ仕上げ。
玄関扉、パイプシャフト(湯沸器やガス、水道メーターのあるところです)の扉。
これもペンキ仕上げ。
今じゃあみんな工場で作られてくる既製品をセットすれば終わりでペンキ屋が壁を塗るなんて考えられないですが・・そんな時代だったんです。
当時はバブルでね、3K(キツイ、キタナイ、キケン)と呼ばれた建設業界まったく人が足りてなかった。誰もそんな仕事したがらないんですよ。
だから地方から出稼ぎに来た人や外国人がいっぱいいました。
あの夏に一緒になった建具屋さんはどこから来たって言ってたかな・・・群馬だったかなぁ

「親方にだまされてこの現場放り込まれてよう・・・近くに温泉あるからそこに泊まればいいなんて・・・来てみたらラドン温泉だし。旅館は高いし・・仕方ねぇから車に布団入れて荷台で寝てるんだわ」

ラドン温泉って昭和の時代に流行った「ラドン発生装置で浴槽に安定的にラドンを送り込んだ人工温泉」なんですが・・
今で言うスーパー銭湯に近いイメージかな(^_-) 宴会場や仮眠室があったりするところもありました。
そこに泊まり続けるというのは無理がありますね。

建具屋さんは扉がそのまま積み込めるハイエースやキャラバンに乗っている人が多かったのでそこに布団を敷くことができたんです。

(つづく)


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