時はバブル華やかなしり頃、遅れに遅れた工事現場の道路際。
一人で門扉を塗っていると、数十メートル先からインターロッキング(ちょっと洒落た歩道に使われているコンクリートブロックを敷き詰めた舗装)ブロックを十数人が横一列になってズンズン並べてきました。
人数が多いから早い早い!
「お~っと、これはヤバイかも(^_^;・・・すみませ~んこのあたりは何時頃にやるんですか?」
取り囲まれては大変と、近くの職人さん達に声をかけました。ところが・・・
「(-_-)(=_=)(-_-)(-_-)」
誰も答えてくれないんです。
「聞こえなかったのかな・・・(^_^; すみませーん!!何時頃ココを工事します??」
「(@_@)(?_?)(*_*)(?_?)」やっぱり無視?・・と思ったら
遠く離れたところから親方らしきオジサンが
「アーソコ! キョウヤラナイネ! ダイジョブ(^O^)」
そうなんです。
エジプトの銀行員さんよりも、当時最も多く見かけた外人さんは「中国から来た人達」
最近ちょっと陰りが見えてきたといっても、今や日本の観光地には、中国の方達がたくさんあふれており「爆買い」なんて言葉が生まれたくらいの勢いが有りますが、その頃はまだまだ国内の景気が上向いていたわけでもなく、日本のバブル時代の賃金はとても魅力的だったようです。
私が出会った彼らの仕事は主に土木関係のパワー系仕事。
技術や戦略ではなく、まさしく人海戦術で力押しに押す系の仕事の人が多かったです。
そんな時代、とある現場にいた彼らとちょっとだけ親しくなりました。
まぁ、彼らが日本語を話せたからなんですが(^_^;)とにかくよく働く人達でした。
なんでも、この現場が終わると夜は中華料理屋さんで働くっていうんですよ。
みんなそうなんだって。実際時間が来ると(外水道で体をあらって!)バタバタと着替えて帰って行きました。
もちろん、端で見ていると彼らの中にも、真面目な子、不真面目な子がいました。
中でも福建省から来た彼は真面目の代表選手。
質素な服、丸刈り頭。名前は・・・聞いたんですが覚えてません(^_^;(発音が難しい)。
隠れたところでも手を抜くということをしませんでした。
日本語も上手だったので学校の成績もよかったんだと思います。
ただちょっと閉口したのは、一つ踏み込んで親しくなってから第二次世界大戦を持ち出しては、日本人は悪い人達だっていうんです。
だから、お金を貯めたら僕はすぐに帰ると。
これにはまいりました。現場の休み時間にする話としてはヘビーすぎます。彼の真面目さがどうしても言わせたんでしょうね。
彼とはもちろんその現場限りの仲でした、あの調子だと、(お金を貯めたら本国に帰っていったんだろうな)なんて想像していました。
ところが、それから数年たって別の現場で再会したのです(*_*)
茶色に染めた長い髪。粋な金のネックレス。
通勤着はお洒落なファッション。街ですれ違ったら気づかなかったかも・・でも間違いなく彼です。僕にはすぐ分かりました!
「久しぶりだね~ペンキ屋です(^_^)」
「オオ(^^;)ハジメマシテ 『スズキ』デス」
「嘘つけ!(^_^;) 福建省から来た子だろ!」
あ、でも、名前覚えた・・・