東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。
府中市はもちろん、調布市、小平市、日野市など東京多摩地域を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。
「こうやって、無事に帰って戦後の厳しい時代を乗り越えると、島で過ごした日々も懐かしいよ(^^)」
「父島には、その時以来行ったことがないんですか?」
「それがさ、○○建設さんが下職の親方連中つれて団体旅行で行くって言うからね、無理言って一緒に連れて行ってもらった(^^)」
「あら、うちの親父も行ったかな(^_^;)/ペタペタ」
「懐かしかったなぁ、平和な時代じゃぁ海も空も青くって南の楽園だな~」
「そこでどなたかと再会なさったとか?」
「いや・・・そう言う事じゃないよ(^.^)」
「フム、フム(ペタペタ)」
「こっちで『戦友会』っていうのがあってね、まあ、兵隊の同窓会だよ」
「皆さんまだお元気なんですね~(^^)/ペタペタ」
「そしたら戦友の一人が新聞持って来て・・・」
「新聞? (^_-)/ペタ・・・」
「オイ!! あの兵隊、大統領になったぞ(~o~)!」
「へ?(^^;)」「戦友がよこした新聞見たら、新しい大統領の紹介が載ってたよ。ブッシュ(注:41代大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ)って名前だった」
「本当ですか!(@_@)」
「経歴のところに若い頃パイロットで、父島で撃墜されたけど脱出して潜水艦に救助されて助かったって、ちゃ~んと書いてあった(^o^)」
「は~(^^;) 事実は小説より奇なりですねぇ」
「うんうん(^^)奴もがんばったよなぁ・・・」
ご隠居さんの語り口に引き込まれて講談の丸々一席を聞いてしまったので、その日の仕事は遅れを取り戻すのにたいへんだったことを覚えています。
当時はインターネットもない時代。
ご隠居さんの話が本当だったのか(犬のこともあって)確信が持てないままでしたが、「米パイロットの息子さん」まで大統領になった頃には私もパソコンを持っていて、ご隠居さんの講談が事実に基づいていることがわかりました。
「ご隠居さん」も「パパブッシュ」も亡くなられていて、今では話の詳細を確かめる事は出来ません。
ネットで調べると従軍は確かで、
ブッシュ元大統領は当時最年少の雷撃機パイロットとして1944年9月2日、父島の無電塔爆撃任務についた際、山岳地帯に隠された砲座によって攻撃にさらされるも四個の爆弾を投下したが乗機は被弾、炎上した。
ブッシュは屈せず、空母サン・ジャシントへの帰還を試みたがコクピットが炎と煙で満たされたため、高度1500フィートの地点でパラシュート脱出した。同乗の2名は戦死したがブッシュは無事着水し生存した。
すぐさま彼を捕獲するため日本軍舟艇が出動したが、僚機(機体名不明)のダグ・ウェスト中尉(職種不明)が舟艇を機銃掃射し、上空にいた戦闘機が撃墜を通信したため難を逃れることができた。通信から数時間後、島から15〜20マイルの海域を哨戒していた潜水艦フィンバックが到着、ブッシュは他の4人のパイロットとともに救助された。
と『ウィキペディア(Wikipedia)』にも記載されています。
ご隠居さんと同じようにブッシュ元大統領も2002年6月18から19日、父島を訪れて記念植樹を行われています。
私は期せずとも、一人の元日本兵による歴史の証言を聞いていたのでした。
その為、私の記憶に残っているご隠居さんの言葉を出来るだけそのまま残しました。
父島の日本軍守備隊については、ほかにも色々と逸話があるのですが、あのときのご隠居さんの話の限りでは、高級将校と一兵卒の間には大きな隔たりがあった様に感じるのです。