師走の風景

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。府中市はもちろん、立川市、稲城市、町田市など東京都多摩地区を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

今年もいよいよ押し迫って慌ただしくなってきましたね。
スーパーなどにお飾りやおせち料理が並んで一足先にお正月気分となってきました。

以前はこの時期だとまだクリスマス商戦が華やかで、たくさんの商品が並んでいたような気がするのは私の気のせいでしょうか?ケーキや鶏の丸焼き、クリスマスプレゼントの売り出しが、これでもか!といった形で行われていた気がするのです。
そして本番直前の24日のイブの夜にはいっせいに片付けが行われて鮮やかにお正月用品と入れ替わる・・・純粋な子供の頃には「明日がクリスマスの本番なのに・・・」と思ってっていたものです。とはいえ敬虔なクリスチャンでない私。成人してからは例えクリスマスパーティーが12月の初旬に行われようと異議もなく参加し・・・ビンゴの景品が「お米券」だったりしても「夢がない」などとは例え思っていたとしても口には出しません。

時代が変われば、季節の風景が変わっていくのは自然なことですからねぇ。ハロウィンなんか楽しいじゃないですか(^^)仮装が。でも、なんで仮装するんでしょうかね?そもそも何の記念日?何日?それすらも今一わからなかったりするじゃないですか。それでも馬子ではなくて「孫」には衣装を買ってあげるんだから世の中面白いです。まあ、根本的なことはおいといて面白そうなイベントは自国の文化にどんどんとり入れていく。これが八百万の神を祭る日本という国なのでしょうね。
けれども節分の「太巻き」
あれは個人的にあまり好きではないです。いつの頃からか定番となってしまったあれです。ある方角を向いて「黙って一本を食べる」せっかくの太巻きならワイワイやりながら食べたいじゃないですか。食べる間は一切口がきけない。・・・これはあんまり面白くない。どうせならみんなで楽しめるイベントがいいですね(^_^;

青い自家用車と私。秋川にて

子供の頃から私の店では親父が年の瀬ギリギリまでバタバタと仕事をした後、道具一式を片付け、材料置場を掃き清めて一年の締めくくりとしました。
忘れてはならないのは「お飾り」ですね。
小さな借家の玄関が創業当初の我が社の事務所。小さな黒板と小さなテーブル。黒電話。二畳もなかったと思う広さでしたが神棚が有りました。ここにちゃんとしめ縄を飾っていました。
それから車。家は小さな平屋の借家ですが車があったんですよ。

勘違いかもしれないとアルバムを見返すと「昭和42年の8月秋川にて」撮影とある写真にマツダの車が写っています。ドアのところにちゃんと「不二塗装」と書いてあり独立創業2年目にはがんばって車を購入していたようです。車種はなんでしょうかね~(^_^;ちょっとわからないです。55年前の写真ですから・・・この車、もちろん普段は仕事用ですが、極々気まぐれに(年に数回)どこかに連れて行ってくれるときには積んであるペンキを全部下ろして家族が乗れるようにします。だから強力にシンナー臭がしました。(現社長である兄はよく乗り物酔いしていましたが後年、他家の車では酔わなかった。つまり実はシンナーに酔っていたんですね)この大事な大事な商売道具はピカピカに磨きあげたあとフロントグリルに「焼き物の赤いエビに色付きのビラビラ付き」お飾りを結び付ける。この雨が降ると色落ちして車に色がついちゃうこともあったお飾り。しめ縄と一緒に鳶の頭が売りに来ていました。

この鳶さん。僕が物心つく頃から年末になるとやってきて

「どうも!毎度お世話様です!」
「待ってたわ~。今年はしめ縄と玄関飾り、車の飾りと自転車の・・・」

このやりとりが風物詩といいますか、もう今年も終わりだなと感じるときなのです。
それから半世紀近くの月日が流れ、いつの間にか鳶さんも代替わりしていましたがやはり年末になると「どうも!毎度お世話様です!」のお付き合いは続いていました。

「・・・ところで親父さん」
「ん?」
「俺、あの鳶さんと現場で行き会ったことないんだよね(^_^;)」
「ん?(‘_’)」
「せっかくだから、何か頼めることがあったらさ、声かけても良いかな?足場とか」
「ん~(^_-)?」
「どこの鳶さんなの?」
「(=_=)う~ん・・・知らない」
「(*_*)え?」
「なにせ古い話だから(^_^;)五十年?」
「(@_@)」
「最初はどこかの工務店の付き合いで知り合ったんだろうけど・・・たくさんあったし。商売辞めたとこもあるし、代替わりしたり・・・潰れたとこもたくさんあるからなぁ(-_-)」
「知らないで頼んでるって事(*_*)?」
「うーん付き合いだからな(^_^;)向こうが来てくれるのに、辞めるのも変だし・・・」
「・・・(^^;)」

親父殿、自分から問いただすのも恥ずかしいのか、その後もずっと謎の鳶さんからお飾りを買い続けていました。
ただ、親父が亡くなった年の暮れにも鳶さんは知らずにやってきたので、町内や多少なりとも今でも付き合いのある鳶さんでなかったのはたしかだったようです。(^_^;)
翌年、事務所の移転予定もあることを伝えると
「長い間、本当にどうもありがとうございました」

と、深々とお辞儀をして去って行かれました。
こちらも「こちらこそありがとうございました」と告げて見送ったあと気が付いた。

「あ!(^o^;)しまった!」

そうなんです。
結局どこの鳶さんだったのかは永遠の謎となりました・・・。


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